すれ違うセラピストとクライアント(行動経済学)

提案が受け入れられない、生活指導が続かない。その背景にある4つのバイアスを行動経済学から読み解き、プロスペクト理論やナッジを使った関わり方を考えます。

セラピストとして仕事をしていると、自分が勉強してクライアントの方にとったらこのアプローチがいいんじゃないか、と思って提案してもなぜか受け入れられないことってあるんじゃないかと思います。

また、施術だけでなく普段の生活で気をつけた方がいいことを伝えたとしても、なかなか続けてくれないようなことも。

このようなコミュニケーションのすれ違いはよく起こることなんですが、行動経済学のような学問を学ぶとその理由が見えてくることがあります。

今回の情報を活かしていろいろ新しいアイデアを考えてみてください。

臨床の現場で起こるあるある

まずはよくあるクライアント側からの反応をまとめてみようと思います。

  1. 「ここまでやってきたのだから続けたい」
  2. 「まだ大丈夫だからこのままでいい」
  3. 「今は決めたくない」
  4. 「〇〇で簡単に痩せた」など楽な情報に流される

セラピストとして痛みの改善や体の悩みに対するアプローチをする時に、なかなかクライアントが思い通りに動いてくれない時の反応として①〜④のような状況はよく起こると思います。

これらは人間の心理として起こりやすい反応で、それぞれ名前がついているんですよね。

  1. サンクコスト・バイアス
  2. 現状維持バイアス
  3. 現在バイアス
  4. 利用可能ヒューリスティクス

まずはこれらの特徴を理解しておくと、なぜクライアントがそのような反応をするのか?ということが分かってくると思うのでまとめていきます。

サンクコスト・バイアス

体の痛みの改善やダイエット・筋トレなど、なんらかの理想を叶えるためにクライアント自身で情報収集をしたり行動をすることはよくあることだと思います。

ただセラピストの立場としてはそれが非科学的であったり、本人にとっては合ってないアプローチだと感じることもあるんじゃないでしょうか。

本人にとっては自分の時間・労力をかけておこなってきたことがあり、サンクコストとは埋没した費用という意味で、過去に支払った費用や努力のうち戻ってこないことを指します。

そのサンクコストに引っ張られて新しい行動になかなか切り替えられない状況をサンクコスト・バイアスと言うわけです。

現状維持バイアス・現在バイアス

まず現状維持バイアスは例えば姿勢が悪い、柔軟性が低い、生活習慣が乱れている、などこのまま放っておくとなんらかの体の不調が起こる可能性が高い場合であっても、今のところ大丈夫であればなかなか行動を変えられない、というもの。

セラピストとして臨床を行う中でもよく感じるものじゃないでしょうか。

次の現在バイアスも似たような感じで、今のところは大丈夫であっても今後何らかの不調が出る可能性がある→そこでセラピストの立場として複数の選択肢を提示して解決策を紹介する→ただクライアントにとってはその中でどれを選ぶかなかなか決められない、という感じ。

人間誰しも普段の行動を変えるにはエネルギーが必要で、現状を変えずにそのまま過ごす方が楽だったりします。

そこでこれらのバイアスによって②③のような反応が起こることがあるわけですね。

利用可能ヒューリスティクス

④はダイエットの例を挙げましたが、科学的には食事の内容や量を調整し、適切な運動習慣をつけていくようなことが健康的に痩せる方法だと考えられるものの、巷には〇〇ダイエットのような非科学的な情報もありふれています。

しかし一般のクライアントからすると、摂取するエネルギーを減らして運動を増やすような地道で大変な方法よりも、広告などで〇〇で簡単に痩せる!実際にこんなに痩せた!のような情報をみるとそちらに流されてしまいがち。

このように医学的に証明されているアプローチよりも、身近で目立つ情報を優先して意思決定してしまうことを利用可能性ヒューリスティクスと言います。

上記のような心理的特徴がクライアント側にはあることをセラピストの立場として理解しておくことがまずは重要なので、ぜひ知っておいてください。

行動経済学的なアプローチ

ここからは上記のような人間のクセを理解しながら、セラピストの考える理想の方向に動いてもらいやすくする考え方を共有していこうと思います。

プロスペクト理論

プロスペクト理論について簡単に説明すると、人は利益を得るよりも損失を回避したい傾向が強い、というようなものです。

例えば何らかの治療法を実施するときに、1%の確率で副作用が出るような場合を考えた時に以下のような表現を見るとどのように感じますでしょうか?

  • この治療を行うと1%の確率で副作用が出る
  • この治療を行うと99%の確率で改善する

おそらくこの治療を行うと99%で改善するという言い方をした方が実施する人が多く、1%の確率で副作用が出るという言い方をする方が実施する人が減るでしょう。

このように人はリスクを感じると行動に変化が起こるような感じですね。

クライアントにやって欲しい行動がある時はリスクを強調せずにメリットを中心に伝える、逆にやって欲しくない行動がある時はリスクを強調することで行動を制限できる可能性が高まる、という理解で伝え方を工夫できると良いと思います。

コミットメント手段の利用

人はどうしても決断を先延ばしにしがちな特性があるので、その際に利用できるのがコミットメント手段の利用、というもの。

例えば老後のための貯金を計画的にする場合、毎月自分で決めて貯金・投資をするよりも、給与天引き型にして短期間には引き出しができない口座に貯蓄する方がよかったりしますよね。

このように健康に対するアプローチでも、なかなか自分で決められない場合は習慣に組み込んでしまうという形が向いていたりします。

例えばダイエットなどをするときに、毎日必ずサポートする人に体重や食べたものの記録を送らなければならない、というルールを設定して、もし送ってこなければ催促するような取り組みをするのもこのようなコミットメント手段を利用したものとも考えられますね。

目的に合わせてどうしても自分の意志の力では決断できない、継続できない場合はルールとして組み込むのもおすすめなので参考にしてみてください。

ナッジ

ナッジとは「軽く肘でつつく」という意味の英語なんですが、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーは「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素を意味する」と定義しています。

なかなか難しい言葉のように感じますが、具体的にはけっこう単純なものもあって、例えば男性小便器で「一歩前へ」という張り紙があったり、標的のような的がついているだけで飛び散りが減って、清掃の労力も減った、というようなこともナッジの例の一つです。

セラピストとしてクライアントに関わっていると、

  • もっと食事に注意して欲しい
  • もっと運動して欲しい
  • 普段から姿勢を気をつけて欲しい

など、いろいろ感じることがあるかもしれませんが、このような場合にただ直接その内容を伝えるのではなく、環境を変えることによって自然に目的の行動をするようにしむけるようなことがナッジの考えを活かすとできるようになるでしょう。

ナッジの設計方法

ここではナッジを設計する一般的な流れについて共有するので、ぜひ普段の取り組みに活かしてもらえたらと思います。

行動変容の特性を考える

まず重要なのは本人自身が自分の行動を変えることを強く願っているのか、それとも本人があまり気にしていなかったことを気づかせて行動変容を起こさせるのか、どちらのパターンか見極めることが重要です。

例えばダイエットのような本人の願望が強い場合は、先ほどのコミットメント手段を利用したり、自制心を高めるためにダイエットに不適切な行動をした場合は何らかの罰をつける、なども効果的かもしれません。

逆に本人があまり気にしていないけど行動を変えることを目指す場合はまた別の工夫が必要になってきます。

例えば姿勢を改善させようと思った時に、作業スペースの環境調整として椅子・デスクを取り払って全部スタンディングデスクにするなどすれば、無意識的に座る時間が減って姿勢の悪化を予防しやすくなるかもしれません。

このように変えたい行動によってとる手法が変わってくるので、まずはどんな行動をターゲットにするのか考えてみましょう。

行動の評価

上記のように考えてある程度アイデアが出てきたら今度はその評価方法を考えると良いでしょう。

行動を軸として考える場合には、1日の中で・1週間の中で、など期間の中でその行動がどのくらい起こっているか明らかにするのがおすすめです。

例えばダイエットを考えても、いろいろ評価の方法はあると思います。

  • 1日の中での食事の回数、内容
  • 1日の中での運動量
  • 1週間の中での食事による摂取カロリー
  • 1週間の中での運動による消費カロリー

それぞれ増やしたいもの、減らしたいものがあると思いますが、単純に〇〇しましょう!という伝え方をするだけでなく、どうやったら普段の行動に落とし込まれるかを今回の知見をもとに考えてみると良いでしょうね。

コーチング

ナッジの設計にも通じるところではありますが、コーチングの考え方を使ってクライアントとコミュニケーションをとることも役立つことがあります。

コーチングの基本的な流れ

コーチングの基本的な流れを示す図(現状分析→目標設定→今やるべきことの決定)

コーチング的な関わり方をする場合、上記のような流れでアプローチを組み立てていくのがおすすめです。

  1. 現在の状況を分析する
  2. 目標を定める
  3. 今やるべきことを決める

まずクライアントは漠然と「体の痛みを改善したい」とか「ダイエット・筋トレをして理想の体に近づけたい」というような要望があると思いますが、そこで具体的なアプローチを決めるのが専門的なセラピストの腕の見せ所。

この最後の③やるべきことを決める、というところで今回学んだ行動経済学の知見が活きてくるでしょうね。

①・②の現状分析・目標設定に関してはある程度できたとしても、実際に行動ができない・続かない人はたくさんいるので根本的な原因や心理特性を把握しつつ、適切な今やるべきことを設定できたら目標を達成できる人はもっと増えるんじゃないでしょうか。

ぜひ今回の知見を活かしてクライアントとよりよい関係を築いてもらえたらと思います。