痛みの科学と哲学

痛みの分類と対処法を科学的に整理したうえで、現象学の視点から「本人が痛いと言うなら痛みはある」という捉え方を導入し、主観と客観の4象限から他者の痛みへの向き合い方を考えます。

セラピストは日々さまざまな痛みと向き合うことが多いと思います。

しかし、この痛みには複数の要素が絡むこともあって改善させようと思うと一筋縄ではいかないこともあります。

これまでも腰痛や頭痛など特定の症状を取り上げたこともありますが、改めて一旦この“痛み”とは何なのか知ることで個別の症状についても理解が深まると考えています。

今回は科学的な視点と哲学的な視点を組み合わせて痛みについて学んでみましょう。

痛みの科学

まずは基礎知識として痛みを科学的にみていきましょう。

痛みの分類(身体構造)

● 表在痛(ひょうざいつう)

皮膚や粘膜など、身体の表面近くで感じる痛みです。 例:切り傷・やけど・注射の痛みなど。 痛みの場所がはっきりしており、「チクチク」「ヒリヒリ」といった鋭い痛みが特徴です。

● 深部痛(しんぶつう)

筋肉や関節、骨、腱などの深い組織から発生する痛みです。 例:筋肉痛、関節炎、骨折など。 「ズーン」「ジワジワ」とした鈍い痛みで、位置が曖昧なことがあります。

● 内臓痛(ないぞうつう)

胃腸、肝臓、膀胱などの内臓から感じる痛みです。 内臓そのものには痛みを感じる受容器が少ないため、「しめつけるような」「鈍く重い」痛みとして感じられます。 また、実際の内臓とは離れた皮膚に痛みを感じる「関連痛(かんれんつう)」が起こることもあります(例:心臓の痛みを左腕や肩に感じるなど)。

● 中枢痛(ちゅうすうつう)

脊髄や脳など、神経の中枢が障害されて生じる痛みです。 例:脳卒中後の痛み(視床痛)や、脊髄損傷後の痛み。 「焼けるような」「しびれるような」痛みが長期間続くことがあります。

痛みの種類(心身機能)

● 侵害受容性疼痛

ケガや炎症などにより、痛みのセンサー(侵害受容器)が刺激されて生じる痛みです。 例:打撲、関節炎、手術後の痛み。 原因が明確で、組織が治れば痛みも軽減します。

● 神経因性疼痛

神経そのものが傷ついたり、誤作動したりすることで生じる痛みです。 例:坐骨神経痛、帯状疱疹後神経痛、糖尿病性神経障害。 「ビリビリ」「ピリピリ」「焼けるような」痛みが続き、通常の鎮痛薬が効きにくいことがあります。

● 非器質性疼痛 → 痛覚変調性疼痛

身体の組織や神経に明確な異常が見られないのに、痛みを感じる状態です。 ストレスや不安、過去の痛みの記憶などが関係している場合があります。 「心因性疼痛」「中枢性感作」などとも呼ばれ、心と身体の相互作用が大きな要因です。

科学的に痛みに対処するには

薬による治療

  • 鎮痛薬(アセトアミノフェン、NSAIDsなど)
  • 神経因性疼痛に対しては抗うつ薬・抗けいれん薬
  • 慢性痛ではオピオイドや鎮痛補助薬を慎重に使用

物理療法

  • 温熱・電気・超音波などを用いて筋緊張や血流を改善
  • 神経の過敏性を抑える目的で活用されます

施術や運動療法

  • 関節や筋の動きを改善する徒手療法(施術)
  • 運動による血流促進・痛みの閾値上昇・身体の可動性改善
  • 慢性痛では「動くこと自体が治療」となることも多いです

ここまで痛みを客観的に捉えることで対処のイメージを考えてきましたが、改めて痛みは本当に客観的に捉えられるでしょうか?

ここから哲学的な視点で痛みを考え直してみましょう。

痛みの哲学

哲学にもいろいろな考え方がありますが、ここでは主に現象学というものを起点に考えてみようと思います。

先ほどまでの科学的な考え方は可能な限り客観的に痛みを捉える形できましたが、現象学では一旦考える方向性を逆の主観に切り替えます。

これによって痛みを違った視点から見れるようになるでしょう。

痛みの認識

エトムント・フッサールが提唱した現象学では、「現象学的還元」によって、世界の客観的な前提を一度括弧に入れ、主観の経験そのものに立ち返ることが強調されます。

自然的態度は痛みの原因があるから痛みを感じるということですが、現象学的な考えでは逆に痛みを感じるのだからその先に原因があるというような考え方。

たとえば、同じ強さの刺激を受けても、「痛い」と感じる度合いは人によって異なります。

このとき現象学的に考えるなら、「本人が痛いと感じているのであれば、それは痛い」と扱います。つまり、痛みとは主観の確信であり、客観的刺激の強弱だけでは定義できないということです。

実際、徒手での圧痛でほんの少ししか触っていないのに「痛い!」と言う人もいると思いますが、それも痛みがあると扱うようなイメージですね。

痛みの意味

痛みには、単なる感覚としての側面だけでなく、意味づけの側面もあります。その意味づけは、過去の経験・価値観・欲望・社会的文脈などによって形成されます。

たとえば、同じ腰痛でも

  • アスリートが大会直前に感じる痛みは、「競技生命に関わる重大な痛み」として強い意味を持つ。
  • 一方、デスクワーク中心の人が感じる軽い腰の違和感は、「少し休めばよい」程度の意味しか持たない。

このように、痛みは身体感覚とともに、その人の生の文脈の中で意味づけられているのです。したがって、セラピストに求められるのは、痛みの“原因”を特定することだけでなく、その痛みがどのような意味を持っているのかを理解することです。

主観の限界と課題

しかし、痛みを主観的に考えると、新たな問題も生まれます。それは、「本人が自覚していない痛み」や「言葉にならない痛み」は存在しないことになってしまう、という点です。

現象学は主観を重視しますが、意識化されない痛み社会的に語られにくい痛みも確かに存在します。

ここから改めて客観と主観を組み合わせた痛みとの向き合い方を考えてみましょう。

痛みの存在(客観・主観)

ここまで痛みを客観的・主観的それぞれの方向で考えてきましたが、まとめると以下のような分類がなされます。

痛みを主観の有無と客観所見の有無の2軸で4象限に分類した図

主観○・客観○

本人が痛みを訴え、客観的にもその原因が確認できるタイプです。たとえば、筋肉の炎症や骨の異常など、画像や検査で裏づけが得られるケース。

この場合、原因に対して適切な治療やリハビリを行えば、痛みの軽減とともに「納得感」や「安心感」も得やすくなります。主観と客観の整合が取れているため、比較的ストレートなアプローチが可能です。

主観×・客観○

検査では異常が見られるのに、本人は痛みを感じていないケース。スポーツ選手などにも多く見られ、本人が痛みに鈍感な場合や、痛みを「悪いもの」として認識していない場合もあります。

このパターンでは、専門家の“伝え方”が鍵になります。客観的なリスクをわかりやすく説明し、今は痛みがなくても将来的に問題が生じる可能性を共有する。「今感じていない痛み」にどう意味づけを与えるか——ここに臨床家の腕が試されます。

主観○・客観×

実際の臨床現場で最も多く、最も難しいケースです。検査をしても明確な異常が見つからず、しかし本人は確かに痛みを感じている。

この場合、単に「異常なし」と伝えてしまうと、本人は見放されたように感じてしまいます。重要なのは、痛みを「存在しないもの」とせず、「感じていること自体を認める」姿勢。さらに、心理的・社会的背景、文化的な痛みの表現様式など、主観の背後にある構造を探ることが求められます。

主観×・客観×

理想的な状態です。この状態では、身体的にも心理的にも安定し、自由に動ける幸福感が得られます。しかし、この状態を維持するには「痛みを感じない」ことよりも、「痛みを恐れない」心身の柔軟さが必要かもしれません。

他者の痛みは本当に理解できるのか

「痛み」は、身体に起こる生理的な反応であると同時に、極めて主観的な経験でもあります。同じ刺激を受けても「痛い」と感じる人と、そうでない人がいる。この違いこそが、痛みを理解することの難しさであり、セラピストにとっての永遠のテーマかもしれません。

ここでは、他者の痛みを理解し、適切に寄り添うために大切な3つの視点を考えてみましょう。

①「聴く・触れる・見る」から始まる理解

セラピストの現場では、必ずしも最新の機械や画像診断を用いた評価ができるわけではありません。だからこそ、「話を聴く」「身体に触れる」「動きを見る」という基本的な行為が何より大切になります。

言葉の裏にある微妙なトーンや、身体のこわばり、動作中のわずかな違和感。そうした小さなサインを拾い上げることが、他者の痛みに近づく第一歩です。経験を重ねるうちに、徒手で触れたときの「圧の加減」で、相手が感じる痛みの強さを想像できるようになることもあります。

② 主観と客観のずれを読み解く

痛みの評価では、「主観」と「客観」の間にズレが生じることが少なくありません。たとえば、本人は「とても痛い」と訴えるけれど、身体的には大きな損傷が見られない。逆に、明らかに問題があるのに「大丈夫」と言う人もいます。

このズレを単なる「気のせい」や「メンタルの問題」として片付けてしまうのは、半人前の対応です。セラピストとしては、主観と客観の間に潜むギャップを丁寧に見極め、身体・心理・社会的背景を統合的に理解しながら介入することが求められます。そこに「信頼」が生まれ、「この人になら任せられる」という関係性が育まれていくのです。

③ 科学と哲学を架け橋にする

他者の痛みを理解するには、科学的な知識だけでは不十分です。生理学や解剖学が「痛みの仕組み」を説明してくれる一方で、現象学や哲学は「痛みの意味」を教えてくれます。

人は痛みを単なる感覚としてではなく、「生きること」や「過去の経験」「欲望」と結びつけて感じ取っています。だからこそ、セラピストには科学と哲学の両方の視点が必要なのです。言葉にならない痛みの予兆を察知し、まだ表出していない苦しみに気づく力——それが専門家としての成熟であり、人間理解の深さそのものです。

おわりに

他者の痛みを「完全に理解する」ことは、おそらく不可能です。しかし、「理解しようとする姿勢」こそが、治療やケアの出発点になります。

科学で身体を見つめ、哲学で心を見つめる——この両輪をもつセラピストこそが、真に他者の痛みに寄り添える存在なのではないでしょうか。

痛みについて多面的に考えられるようになることで、セラピストとしてのアプローチの幅も広げられるようになるでしょう。

参考文献・出典